「アイアムレジェンド」の感想

ウィル・スミス主演の「アイ・アム・レジェンド」の感想。
ネタバレを含んでいるので今後見る予定の方は読まないでください。
また、この映画には結末が2つあるので、もう一方を知らない人も読まないでください。
つまり、2つの結末を知っている人だけ読んでください。

この映画にはキーポイントがあります。
それは主人公の息子が手のひらで蝶のジェスチャーをしていたこと。
1度目は避難中の車の中で、2度目はヘリに乗った時にしている。
この蝶のジェスチャーがこの物語の重要な意味を持っています。

■【血清開発が成功エンド】
テレビ放送されたバージョンであり、元々撮影していたエンディングから急に変更されたエンディングでもある。

主人公は、モンスター化した人間を治す血清を仲間の女性に持たせて逃がし、自分は自爆してモンスターたちを食い止める。
生き残った女性は人が生存している街へたどり着き、人類が助かる方向へ向かうかもしれないと想像させる結末になっている。

コチラの結末の場合の伏線のつなげ方。
(その1)
モンスターが防弾ガラスに何度も体当たりした時に、ガラスに入った亀裂が蝶のように見えた。
その時、主人公は「パパ見て、ほらちょうちょ」という息子の声が聞こえた気がした上、子供を必死に抱きかかえている女性の首元にある蝶のタトゥーを見て何かを悟り、人類を助ける望みを女性にたくして自分は自爆した。

(その2)
主人公は女性の生き残っている人たちがいるという言葉を信じていなかった。
けれど、主人公に助けられた女性は、その後街にたどり着く。
そこには女性が言っていたように人々が生き残っていた。

(感想)
コチラのほうのバージョンをテレビで見たのですが、あまりにも突然過ぎる終わり方に視聴後は呆然状態。
終盤までの物語の盛り上がりぶりに、久しぶりに面白い映画に出会えたとうれしく思っていたのが、急に主人公が自爆するという無理やり感が漂う終わり方に違和感を感じざるを得なかった。
結局、映画に対する他の人の評判でも見ようと思いインターネットで調べると、なんと別のエンディングあるということなので、早速別バージョンを見た。

■【捕まえたモンスターは彼女的な存在だったエンド】
もう一つのエンディングは、罠を仕掛けて捕まえたモンスターが、実は主人公を襲って来ている敵モンスターの彼女的な存在だったことに気付く。
その敵モンスターは襲って来ていたのではなく、その彼女を取り戻しにやって来ていたことに主人公が気付くという衝撃的な展開。

普通、映画を見るときは主人公の人間側の目線で見ているので、主人公が敵モンスターを排除するのが正義だと思って見ている。
けれど、コチラのエンディングは、「モンスターは彼女的な存在だった」ことに気付いた瞬間、「モンスター側の目線」では主人公がモンスターたちを生け捕りにしたり、銃撃したりするモンスターな存在だったことに主人公(+観客・視聴者)が気付くという「善悪の逆転」というどんでん返しな結末を迎える終わり方になっている。

コチラの結末の場合の伏線のつなげ方。
(その1)
襲ってきたモンスターが防弾ガラスに体当たりし、その際に出血した自分の血でガラスに蝶を描いた。
それを見た主人公は捕獲したモンスターの首に入っている蝶のタトゥーを思い出す。
そこで二人のモンスターの関係と襲ってきていた意味が分かる。

(その2)
罠を仕掛けてモンスターを捕獲したときに、別のモンスターが日差しに出ると体が焼けてしまうのにもかかわらず外に出ようとしていた。
その時にはその行動の意味を主人公は理解できずにいたが、コチラのエンディングでは「襲って来た」のではなく彼氏モンスターが彼女モンスターを「助けに来ていた」ことが分かり、彼女を救うために日光があたる場所に出ようとしていたことが分かる。
そこにはモンスターが持っていた強い愛情を描いている

(その3)
映画の冒頭で主人公はライオンが現れたので撃とうとしたが、ライオンの家族が現れたのでかわいそうに思い撃つのをやめたシーンがある。
その時と同じように、コチラのエンディングにはモンスターにも愛する者がいて感情があることを描いている。
モンスターの彼氏と彼女やライオンの家族、主人公自身の家族+犬など、コチラの結末はただのモンスター映画ではなく「それぞれの登場人物や動物そしてモンスターが持つ愛情を描いていた」ことになる。

(その4)
コチラの結末のシーンでは、もう一度主人公が実験に使ったモンスターの写真が映る。
一回目に映ったときはワクチン開発のためのただ失敗作にしか見えなかったのが、「助けに来ていた」ことに気付いた時、その写真に映っているたくさんのモンスターに罪悪感を感じてしまうという、写真の内容もそれまでの見え方とは違うようになる展開をしている。

また、以下の主人公のセリフ。

男性感染者が自ら日差しの下へ出てきた。
考えられるのは脳機能の低下によるものか、食料不足による餓えによって基本的な生存本能が鈍っているのかも…。
社会性は完全に退化している。
人間らしい行動はまったく確認できない。


凶暴で見た者を襲うだけの短絡的な考えしか持たないと思ってきたモンスターにも誰かを助けようとする感情があったということ。
主人公の罠をマネたり、仲間を助けようとする知能をまだ持っていた。

【結論】
確かに「捕まえたモンスターが彼女的な存在だったエンド」のほうがストーリーの伏線をうまくつないでいるし、なによりどんでん返しがあるため衝撃を感じる。
でもわざわざ別のエンディングが用意されていた。

「ストーリー展開」としては「モンスターが彼女的な存在だったエンド」のほうが想像をはるかに越える展開になっていて自分としてはコチラが好き。
でも、よく考えるとそもそもあの主人公は妻や子供と別れ、あの場所に残り、ワクチンを開発をして人類を救いたい思いがあったはず。
以下は、テレビから聞こえたニュースキャスターのセリフ。

市長は会見で博士(主人公)がこの悪夢からニューヨークを救ってくれる救世主だと言っています。


物語の最初のほうで「救世主となるか?」という張り紙があったのですが、あれは主人公の事を指しているのだろうと思う。
そこまで世間から期待されてあの場所に残り、ワクチン開発をしようとしたのは、「世の中を悪くしているやつは一日も休まない。寝てられるかって」という主人公が好きな歌手の言葉に感銘を受けたから。
そして「闇を光で照らすんだ」という言葉を口にしていた。

俺は化学者だっ!。必ず治療法を見つけるっ!


なにがなんでもあの場所にとどまり、ワクチン開発をするのが自分(主人公)の宿命なんだという強固な決意があったはず。
それなのにモンスターから追い詰められたあげく、敵モンスターを相手に返して終わりという結末はどうなのかな?とも思う。
どんでん返しな結末は好みだけど、何か腑に落ちない点もあるんですね。

で、自分の映画の好みは一旦置いといて世間的な好みの話をすると、日本って勧善懲悪が好きですからね。
悪いやつは退治される。水戸黄門なんかが分かりやすい。
モンスターだろうと愛する者がいる者には感情移入してしまうけど、モンスターに対して行ったワクチン研究の成果が出ていたのに、点滴をはずして別の注射で治しモンスター側に返すという展開は、人類を救うどころかモンスターを救う結果というのは日本の文化に合いそうにもない。
もし水戸黄門の黄門様が悪代官を逃がしてエンディングを迎えたらどう思いますか(笑)?
血清を女性に持たせて逃がし、主人公が敵モンスターたちと一緒に自爆して「人類を救うために犠牲になった」というほうが「映画の主人公らしさ」がある。

モンスターを退治しないで助けるエンディングというのは日本人の感覚に合わないと制作側が考えたのかもしれない。

「人類」と「モンスター」の「どちらを救うエンディングが映画の主人公(※特にウィル・スミスのイメージ)として妥当か?」ってことを考えると、当然「人類を助けるほうが妥当」でしょう。
だから、モンスターを助けるエンディングから人類を助けるために自爆したエンディングに変更になったのでしょうね。

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